一級建築士であれば、用途・規模に制限なくあらゆる建築物を設計することが許されている。しかし、「許されている」ことと「できる」ことは別だ。そもそも医師国家試験に合格した医師に専門分野があるように、建築設計においても専門分野(設計者が得意とする分野)がある。マンション・商業建築・事務所・倉庫などの用途と比較して、食品工場の特徴を考えてみたい。
建築物は個人または法人の所有物であることが多いが、外部にさらされているがゆえに不特定多数の人々の目に触れる。よって、いわゆる「カッコよくしたい」とか「シンプルでいい」などのデザインに対する要求事項が生まれる。また、個々の建築やロケーション、インフラなどが都市を形成していることを考えると、社会的にデザイン性を要求される場合もある。京都市内で景観条例に基づいて和風テイストのデザインが求められるのはその例である。ここで、建築物の用途によってどの程度のデザイン性が求められるかを考える。多数の人々が訪れてその購買意欲を刺激する必要がある「商業建築」には、高いデザイン性は不可欠といえるだろう。また、日常の心地よさを求め、時にはステータスシンボルとなる「住宅」にもデザイン性が求められる。一方、「食品工場」では他に優先すべき事項があり、高度なデザイン性が必要とされることは少ないと言える。
②要求機能の多様性
すべての建築に対する要求機能は雨風を防ぐことである。この最低限の機能に加えて最適なゾーニングや動線・快適温度・明るさなどが一般的な建築物に求められる。これに対して「食品工場」では、食の安全と生産性向上を実現するためにさらにハイレベルの機能性が要求される。例えば、温度管理一つをとっても従業員の作業環境と製品の品質管理の両面から維持するべき温度帯を設定しなければならない。さらに、これを実現するためのシステム選定においてもイニシャルコスト、ランニングコストを考慮した高度な判断が求められる。
③メンテナンス性
通常、「分譲マンション」では長期保全計画が定められており、そのための資金を毎月積み立てている。そして新築から10年超経過した時点で外壁補修や屋上防水などの大規模な改修が行われる。しかし、新築設計時にメンテナンス性に配慮している部分はそう多くない。外壁メンテナンス用ゴンドラを吊り下げるためのフックを屋上コンクリートに打込む程度の配慮がせいぜいである。その他の建築物については、劣化が進行した時点もしくは不具合が起こった時点で対応する程度で、メンテナンスに対する意識はそう高くない。一方、「食品工場」では取引先への安定供給の観点から工場を休止しづらい事情があり、メンテナンスの難易度が格段に上がる。また、清潔を保つための清掃頻度は通常の建築物よりも非常に高い。そのため、新築設計時からメンテナンス性に配慮した設計上のさまざまな工夫が必要である。
④非日常性
ここでは「非日常性」という言葉を「設計者の日常にとっての」という意味に限定する。当然の話ではあるが、設計者も個人として生活する中でさまざまな建築物を使用している。まずは、住宅については100%使用していると考えていいだろう。次に、生活に必要な買い物をする中で商業建築も使用するだろう。事務所で働いているまたは働いた経験もあるだろう。これらの建築物については、設計者自身もすでにユーザーなので設計の完成度を高めるための想像力を働かせやすい。これに対して、設計者が「食品工場」のユーザーであることは通常ないので、想像力を働かせるためにはある程度の経験値が必要になる。
⑤ジャストスペック
ある建築物にとってちょうど適したスペック(仕様)を「ジャストスペック」と定義する。ジャストスペックを選定するには使用目的や使用方法、コストなどさまざまな要因を考慮する必要がある。すべての建築物においてジャストスペックが求められるが、食品工場の場合は特にその設定が難しい。一概に食品工場といっても、製品や製造の方法、あるいは顧客や販路によって工場という建物に求められるニーズやクライテリアはまったく変わる。同じ食品でも、インライン工場と惣菜のようなオープン工場とでは工場建築に求められる要件は異なる。同じ飲料系でも酒とミネラルウオーターとでは生産環境に本来必要な衛生度は一様でない。このようにあらゆる食品工場に求められるスペックは同じでない。食品工場というと一律にHACCPやISO22000あるいはFSSC22000などを取得すべきだという発想になりがちで、コンサルタントやゼネコンもそのようなスタンスで食品企業に提案することも多いが、それが必ずしも食品企業にとって有効な提案だとは言えない。
その食品工場に本当に求められる適正なスペックを提案、実現する能力が設計者には求められる。
上記をまとめると次の表のようになる。見る人の立場によっては多少の見解の相違がありうることを付記しておく。
建物種別 | ①デザイン性 | ②要求機能の多様性 | ③メンテナンス性 | ④非日常 | ⑤ジャストスペック |
---|---|---|---|---|---|
マンション | 重要視 | 低い | 重要視 | 普通 | 普通 |
商業建築 | 特に重要視 | 低い | 普通 | 普通 | 高い |
事務所 | 普通 | 普通 | 普通 | 普通 | 普通 |
倉庫 | 普通 | 普通 | 普通 | 高い | 高い |
食品工場 | 普通 | 高い | 特に重要視 | 特に高い | 特に高い |
以上をまとめると、食品工場の設計は、通常のユーザー感覚を働かせにくい状況下で「機能性」・「メンテナンス性」・「ジャストスペック」を深く追求することが求められる難易度の高い分野であると言える。それがゆえに設計者には通常の建築物の設計で求められる以上の経験値が必要となる。
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